深澤直人さんの ふつう を読んで
ふつうをすごく考えさせられました。(そのまま笑)
ふつうのものをデザインするということの難しさ。つくりものをしたことがある人にしかわからないかもしれないけど、やっぱりシンプルなものだとなんとなく物足りないような気がしてしまって、色々付け足してしまう。アイデンティティを自分から表現しなくてはっていう意識はどこから生まれるのかな。
「あたりまえ」を「ふつう」ということはよくあるそうな。それは、本当にそうで、あたりまえって、あたりまえだから、誰もまとめてなんてくれていなくて、それが難しいなって思う。でも、あたりまえを文章にすると、強制力があるような気がして、反発心が起こったりもしそうだなぁ。
よいデザインが「ふつう」「あたりまえ」として昇華されるまでには時間がかかる。時間を経て、よくない部分は淘汰されて、いいところだけが残っていく、時々要らないものを付け足されて、またなくなる。そういう時間があって、だれがデザインしたのかわからない、誰もが思うあたりまえのかたちができあがる。私たちはそういうものがたくさんある世界に生きている。
いま、人間という生物、それぞれの生活というものが、薄れていく感覚がすごくあるのは、ふつうのものが、良いということに、みんなと同じは、良いということに、いろんな人が気がついてしまったのだと思う。人間は、ホモ・サピエンスでしかない…誰かがいいと思ったものは、他の誰かも良いと思うもののようです。
だからこれから、デザインの違いで物を消費する時代は終息していくと思う。完全にではないだろうけど。
新しいものがどんどん開発されて、便利になっていく中で、不便なものを愛すというこころは必要だと思う。でも、インスタントだからといって悪い訳ではないはずで、生活の中でやらなければならないことはたくさんあり、そのなかで、何を本当に丁寧にするか…すべて丁寧にするなら何かを捨てなければ…1日の時間は24時間しかない。
ふつうの表現、ふつうのデザイン、それをまっとうすることの難しさを感じさせてくれる本でした。