はきだめでゆめをみる

今 悠起(こんゆうき)の日常とお知らせ

2022-2023

皆様、年の瀬はいかがお過ごしでしょうか。

私は家でのんびり過ごしております。

22年のお礼と、23年もよろしくお願いします、というのを、LINEで送るのだとどうもインスタントな気がしてしまって、去年から年賀状を復活しています。

 

Twitterがイーロンマスクさんに買収されて、課金しないと使えなくなるかも〜みたいな噂もありますね。割とツイ廃気味なんですが、流石に課金はしないかなぁ…

これを機にもっと情報の流れが緩やかな媒体に移行していくのもありかなって思っています。それこそはてなブログをメインにするとかね…!笑

 

スマホに夢中になって、空の綺麗さとか、そういう体で感じる感情がわからないようにはなりたくないなあって思って、意識的にスマホから距離を取ったりすることも最近はあります。笑 大事にしてきたいな

 

2022年は、思い返すと、きちんと努力できていたのか、すこし不安になるほど、忙しない日々だったなあ、と。

でも確実に、以前とは違うところにいけたという感覚はあって、だからこそ、自分の実力不足を顕著に感じることもあったのかな…もっと努力しなくてはと、刺激をいただけました、し、頑張ろうと思えてます。

 

期待していただける機会も増えてきて…なのにまだきっと期待に応えることができていなくて…自分ももどかしい思いを抱えつつ、期待していただけていることにはすごくありがたみを感じます。

ボイトレの先生の言葉を借りるなら、私には見えていない私の良さが、周りの方には見えているんだろうなあ… 私の良さが潰れてたら教えてくださいね!!

 

2023年は、やるべきことをただやる、それがいいのかなと思います。

どうにも考えすぎてしまう質なので…悩まずに反射で!やる!飛び込んでみるという気持ちを大事にやっていこうと思います。

 

さて、

本年は大変お世話になりました。

来る年も、精一杯、本当に精一杯努力して参りますので、何卒、よろしくお願いいたします!

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください〜!

2021-2022

色々あった2021年もあと1日で終わります。

毎年、長いようで短かったと思うのだから、1年という単位はそういう単位なのだと思うことにしました。

この1年のなかで、変わらないものに触れることで自分が変わったことを実感する瞬間を体感しました。それは、ものだったこともあったし、人だったこともあった。変わらないものの魅力を、変わってから実感するというか。でも自分は変わっていきたいから…ままなりませんね。

誰かからの引き立てだったりとか、わたしのことを想って言ってくれている言葉、みたいなものを、いままで自分はうまく受け取れていなかったなあ、と思えたのが今年1年の1番の収穫でした。調子に乗りやすいタイプなのでわざと斜に構えていたところも多分にありますが…いい人は受け取るのも渡すのも上手だなって思って、最近は練習中です。笑 まだ不自然かも 努力しないとできないので笑

他にもいろいろ…うまくいかないこともたくさんあったし、たくさん泣いたし、たくさん苦しんだ。でももがいたから今年は頑張った年だったな〜って思えます。

さて、2022年ですが。

どこかに羽ばたく時というのは自然とその方が良いように条件が整っていくそうで、なんとなく今度は本当に、きてる感じがある、気がする。気がするだけですけど。どうかな。

来年から運気が良いという占いで、喜びたいのに…やっぱり不安で、信じたいのに、信じきれない自分もいます。

自分が頑張ってなかった訳じゃない、決して、それは心に誓って言えるけど、でもいざ、その結果が出る頃ですって言われると、結果を見るのはまだとても怖いですね。

それでも日は登るし、年も明けるし。あ、初夢はいい夢だったらなんでもいいです。

時間は待ってくれなくて残酷だよ!

忙しい年になりそうだな〜って…だってね、スケジュール帳がもうおかしいんですよ、去年は1月から新しいスケジュール帳〜とかやっていたのに、今回は2021の終わり頃からもう2022の予定が埋まりはじめちゃって、アレレ〜?おかしいぞ〜〜??

気候もなんだかちょっとおかしいし、体調にだけは本当に気をつけていきたいですね。来年のお守りは健康守りにしようかな。

今年も1年、大変お世話になりました。

みなさま良いお年をお迎えくださいませ〜〜!

深澤直人さんの ふつう を読んで

ふつうをすごく考えさせられました。(そのまま笑)

ふつうのものをデザインするということの難しさ。つくりものをしたことがある人にしかわからないかもしれないけど、やっぱりシンプルなものだとなんとなく物足りないような気がしてしまって、色々付け足してしまう。アイデンティティを自分から表現しなくてはっていう意識はどこから生まれるのかな。

「あたりまえ」を「ふつう」ということはよくあるそうな。それは、本当にそうで、あたりまえって、あたりまえだから、誰もまとめてなんてくれていなくて、それが難しいなって思う。でも、あたりまえを文章にすると、強制力があるような気がして、反発心が起こったりもしそうだなぁ。

よいデザインが「ふつう」「あたりまえ」として昇華されるまでには時間がかかる。時間を経て、よくない部分は淘汰されて、いいところだけが残っていく、時々要らないものを付け足されて、またなくなる。そういう時間があって、だれがデザインしたのかわからない、誰もが思うあたりまえのかたちができあがる。私たちはそういうものがたくさんある世界に生きている。

いま、人間という生物、それぞれの生活というものが、薄れていく感覚がすごくあるのは、ふつうのものが、良いということに、みんなと同じは、良いということに、いろんな人が気がついてしまったのだと思う。人間は、ホモ・サピエンスでしかない…誰かがいいと思ったものは、他の誰かも良いと思うもののようです。

だからこれから、デザインの違いで物を消費する時代は終息していくと思う。完全にではないだろうけど。

新しいものがどんどん開発されて、便利になっていく中で、不便なものを愛すというこころは必要だと思う。でも、インスタントだからといって悪い訳ではないはずで、生活の中でやらなければならないことはたくさんあり、そのなかで、何を本当に丁寧にするか…すべて丁寧にするなら何かを捨てなければ…1日の時間は24時間しかない。

ふつうの表現、ふつうのデザイン、それをまっとうすることの難しさを感じさせてくれる本でした。

深澤直人 著『ふつう』 | D&DEPARTMENT

超人たちの人体、見てきました。

仕事中のラジオはもっぱら住吉美紀さんのBlue Oceanを聴いているのですが、それで告知を聴いて、これは是非行かねば!と思った次第でして。

行ってまいりました、「超人たちの人体」展!

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www.miraikan.jst.go.jp

かの有名なウサイン・ボルトさんにはじまり、車いす陸上で大活躍のタチアナ・マクファーデンさん、水泳のケレブ・ドレセルさんと続きます。

3者3様、それぞれの魅力があり、とても勉強になりました…!

入ってすぐとりあえず撮った写真です笑 暗い展示場でした。

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ウサイン・ボルト

お母様からのコメントで、大会に行く直前に「僕はきっと負ける」って大泣きしていたのに、その大会で金メダルをとってきた、と書いてあって、今でこそこんなに足が速いことで有名だけど、最初はそんな風に不安に思うこともあったのかあ…としみじみ…

側わん症で、それがハンディになりそうなところだけど、そのおかげで逆に左足をより強く伸ばすことができたそうです。トップスピードのときの歩幅が2m45とかだったような…実寸で展示されていたので、お子様がぴょんぴょん競っていたのが印象的でした。

私、肉離れって勝手に骨と肉が分離することだと思ってたんですけど(なんで?)ほんとうは肉が裂けることでした…しかも一回裂けると裂けやすいって…こっわ…ボルトさんの左太ももの肉離れの箇所が拡大できたりとかしてヒェェってなりました。

実物大ボルトさんのプロジェクションもあって…すごい…大きい…ってなりました。

タチアナ・マクファーデン

彼女は生まれた時から脊髄が途中で途切れていた?とかで下半身が動かず、さらにそれが理由で孤児院に入れられてしまうという、私だったら自殺ものの半生を過ごされていて本当に驚きました。でも彼女は強いひとでした。

脳の、通常の人間だったら足の動きを司る部分が手を動かすことに使われるようになっていたり、血栓ができても別の血管が代わりをするようになるなど、人間の体というものはかくも自由でクリエイティビティなものなのかと感心する事例ばかり…!私の体もある程度はマクファーデンさんと同じものなのかと思うと急に頑張ろうという気持ちになりました。

彼女のインタビューですごく、自分を諦めない姿というか、自分の体のことをすごく肯定的に、私は私のままで頑張るということを言っていたのが、印象的でした。つよくてかっこいい女の人だったな…

ケレブ・ドレセル

ドレセルさんの展示はね、もうね、見た人にしかわからない、人体と泳ぎの美しさがあります。見に行ってください。あんな…横5mくらいある映像で全身、毛穴が見えるくらいの大きさで映されてあんなに綺麗なひとって存在するのかと…なんも言えねえ。魅入ってしまいました。しかも同い年かよ。耐えられん。

てなわけで

超人たちの人体め~ちゃよかったです。

フジテレビ(?)見ながらランチもできたし…常設展もみたんですが見きれなかったので、また行こうと思います!

コロナで人数制限あり、チケット予約必須なので皆様お忘れずに!

www.e-tix.jp

全然関係ないですけど「展示」ってなんでするのかなあと数年前は思っていたんですが、展示というのはモックアップなわけで、多くの発想は発想→実現→大衆化というプロセスがあり、それをするに値するものなのか?というのを展示で試しているのか…と、最近しみじみ思って、私は大学というものをなんと無意味に過ごしていたものか!と悔やみましたが、誰も教えてくれなかったからしょうがないじゃ〜ん、と開きなおりました。

行く途中にゆりかもめに乗ったのですが、ゆりかもめは完全自動運転(車掌同乗なし)なんだそうですね!?もっと未来のことだと思っていたのに…それを聞いてからずっとハーモニー(伊藤計劃)が見たくてしょうがなくて、このあと多分アマプラで課金します。

それでは皆様、よい連休をお過ごしください〜

海に恋をしている

海が好きで。

特に5月の海は暑すぎず涼しすぎず、波打ち際を歩くには最高だと思っています。だからこういういい陽気が続くとすぐ「海に行きた〜い」という感情になる。

去年は結局1度も海に行けなくてそれが今まで引きずっている気がする。

これは憧れ?それとも確信?

そういえばいいところだけをみて好きになるのは恋だって心理の植木先生が言ってた。だからきっとこれは恋。

最後に行ったのは由比ヶ浜で、鎌倉駅を超えて鶴岡八幡宮をお参りするまでがセット。海も山も堪能できていい。鎌倉ビールも買いたいなあ。

ひとりで行って楽しいの?と聞かれるけど、でもこれはきっとひとりで行くから意味があるのだろうなあ…

「突然ですが占ってもいいですか?」が好きなのですが、星ひとみさんが森山直太朗さんを占っていたときに、「火の気が足りないから焚き火をしますよね」と言っていて、じゃあ私はもしかしたら水の気が足らないのかな?海に行くと心が収まっていくというか、浄化?される?感じ?(そんな大層なものなのかわからないが…)余計なものがなくなる感じがするので、きっと私にとって必要なことなのでしょう。

逆に水の神様が私を守ってくれてるとかもありそうな気もしている。そういや子供の頃から初詣は貴船神社だったけど、ここも水の神様ですね…ヒエ…

「もっと、もっとという気持ちをなくすのです」とは樹木希林さんの本からですが、私は本当にこれができなくて、常にもっといいもの・ヒト・ことがあるのではないかと追い求めてしまいます。若さゆえ…とはいえもう25歳なので…どうか…?

XXXHOLICと希林さんを同等に並べるのもどうかという気はするけど、侑子さんも「対価は過不足なく」「すべては必然」と言っているし、与えられるものを素直に受け取る気持ち?をきちんと整えていきたい。いろいろなものを上手に受け取れる人は生きていくのが上手な気がしている。

「自分らしさ」との戦いにそろそろ終止符が打てそうな予感を少し掴みました。少しだからまだ戦うかも。笑

5年前に撮った海の写真を見ようと思ったけどデータどっか行ってしまったな… 過去に執着がなさすぎて結構個人的なデータは紛失する笑 自分だけの思い出だったらいいかなって思ってしまうんだよなあ。そんなひとです。

思ったより自分の枕は低かった

3度目の緊急事態宣言が出て、だけどもう3度目だから慣れきってしまって、活動を自粛するムードは「意識の高い」「しっかりした」人だけがやるものになってしまった気がする。

私は、今はただの1会社員で、働かなければお金はもらえない。緊急事態宣言が出ているのだからと自主的にリモートワークを推奨したくても、会社の方針で週に2日以上出社しなさいと言われたら逆らうこともできない。逆らって自主的にリモートにしたら一言、「出席率は(ボーナスの)評価に関わるから」と釘を刺された。保健所等と相談して諸々をきめているって言ってたけど、本当にそうなのか疑わしくなってしまうな。

1人暮らしというのも相まって、やはり買い出しなどはしなければならないし、今の部屋は自粛前に決めた部屋だから最小限の広さしかないし、外に全く出ないというのは不可能だし、性格的にそもそも外に出たがりだったんだなあと実感させられた。日光最高。

コロナのせいで変わったことがたくさんあって…でもそれは未来で起こる事が早く現代で起こってしまっただけだっていう人もいて、わたしはそれは結構合ってるんじゃないかと思うけど、変化スピードが早すぎて、人間としての自分というか、脳での処理が追いつかない感じだ。

変わったことがあるから、変えたいことが出てきて、いまはそれを実現するために頑張っている。ずっとそれを繰り返さないとわたしは多分生きてるって思えないんだなって気付きました。

昨日の夜、枕が高いと眠れないことに気づいて、今日から低くして寝ようと思います。染み付いてるのかな。

そういえばブログのタイトルを変えました。きっかけは大学時代の友達が「この大学はゴミ生産大学だよ!」って罵ってたところからです。笑

私が今ネットを通してやってることって割と自己満が強いというか、別に誰のためでもなくて、強いて言うならわたしのため?だなあと思って、ある人にとってはゴミ同然というかゴミよりも価値がないものかも?でもわたしはそこで夢をみたいし叶えたい、という、そのままの意味です。まあアート作品って価値をつけてくれる人がいなかったら全部ゴミだからな、しょうがないと思います。そこがデザインと違うところだな〜 まだアートにすらなってないかもとかいうのは自虐です。

そんな感じで今日もおやすむ。