あるひのおこん

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From the Noting, With Love

 

伊藤計劃記録って本を借りたんですけどね、それの中の”From the Noting,With Love”っていう小説が本当にツボだったんですよ。
タイトルを直訳すると”虚無より愛をこめて”なんですけど、かっこいいけどどういう意味?みたいになるじゃないですか。それがねぇ、読むとねぇ、深いんですよ。

 

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「例えるなら私は書物だ。」

書き出しからまず最高すぎるんだよなあ
「例えるなら私は書物だ。」ってかっこよすぎないか。
この一文を見たときに、私は書物だっていうのはある意味作者が自分も思ってることなのかな、とか思ったりして。

お話自体は「脳内に記録媒体としてのストレージをもつ”私”が、その”私”についての研究者の死を捜査するうちに、とあるものに気がつく」話なんですけど。
むずかしそうな話だねって、難しい話ですよ?でもねぇ、この難しさがいいんですよ。

“私”という意識・記録を、違う見た目の人間になっても持ち続ける”私”。
体を明け渡したほうの”私”の記憶は上書きされ消える。

この設定を考えたときに、まず「私ってなんだろう」って、つい考えさせられてしまいませんか

私って「何」なんでしょう。
私を私として定義するものって、なんなんでしょうね。
見た目?性格?
この話の”私”を、見た目で判別した彼の知人は、いつ彼が彼でなくなったのか、いつまで彼だったのかに、いつ、どうやって気づくんでしょうね?
まぁ、そんなことがあったら、この彼はきっとうまいこと誤魔化すんでしょうけど。

でも、そう思うと、やっぱり、私を私たらしめているものってなんなんだろうな、って、答えなんかないのに考えてしまうんですよ。

 

「この男には意識などないのかもしれないな」

んで、このお話のもう一つの考えどころは、本文から引用すると
「まるで意識なく作業しているかのように、分析官の指先が淀みなく動き続ける。もしかしたら、この男には意識などないのかもしれないな、とぼんやり想像した。」という部分、だと思うんです。
意識と無意識。意識がある、意識がない。
実はこの小説のタイトルのthe Notihgは、本文中のとある人物に対しての対義語なのですが…これは是非読んで知っていただきたい。この感動はねぇ、その前に、色んな設定・伏線を、伊藤計劃さんの、あの表情の少ない淡々とした文章でしか感じられないものだと思うんです。読んで。

 

きっかけ 

もともとノイタミナ主催で伊藤計劃3部作をアニメ映画化したときに、伊藤計劃さんを知ったんですけど。まぁだから、最初は屍者の帝国を映画で見て。あ〜この作者やべ〜〜〜なって思って、もっと深く知りたくなって、3部作を一通り読んで、んで、やっぱりこいつやべ〜〜〜〜やつだって思って。それで、そこから好きなんですよ。
正直、歴史的知識がからっきしなので、時代背景にどのくらいあってるSFなのかとかは、あんまりよくわかってないんですけど、それでも楽しめるので、内容は難しいのは難しいけど、むずかしかったり、哲学的な思考の穴に埋まりやすい人には本当にオススメです。
伊藤計劃記録には小説・散文(コラム)・インタビュー・映画評が収録されているので、伊藤計劃さんのヤバさを淡々と延々と感じることができますので是非。

 

伊藤計劃3部作(映画)公式サイト

project-itoh.com