はきだめでゆめをみる

今 悠起(こんゆうき)の日常とお知らせ

答辞

3月23日、土曜日。

天気は思い通りにならないもので、冷たい雨が降り注ぐ中、

私は無事、多摩美術大学を卒業することができました。

 

そこで、私の、この4年間を少しだけ振り返らせてください。

 

1年生の頃は、劣等感で心がいっぱいでした。高校までは吹奏楽部で毎日音楽漬けで、でも音楽で食べていくのは無理だって諦めて、でも今更勉強する気にもなれなくて。

両親には頑張って公立に行って欲しいって言われて、記念受験みたいな形で芸大も受けたけど、結局受かってたのは情デとデ情で。情デに通うことに、劣等感があったし、情デの中でも、才能がないほうなんだろうなって、どこかで諦めていました。

 

でも、だからこそ諦めきれない気持ちもあって、ずっと、「どうしたらもっと認めてもらえる作品が作れるようになるんだろう」と考えたり、調べたりしました。

自分で言うのもなんですが、私は器用でしたから、見よう見まねでなんとなくそれらしいものを作ることはすぐにできるようになりました。

2〜3年生のはじめ頃は、その繰り返しで、「どうやったら教授や講師の先生に褒めてもらえるか」、そればかりを気にした作品が多かったように思います。

 

話が飛びますが、実は2年生の頃に(世間から見れば少額ではありますが)借金を抱えてしまい、時間の融通の利くバイトを掛け持ちで始めようと思いました。そこで始めたのが、Eラーニングの制作助手のバイトでした。その頃から知り合いのツテでポスターの制作をさせてもらったり、徐々に「仕事」としてデザインだったり、制作をやらせてもらえる機会が増えていきました。

そうすると、世間から必要とされているデザイナーの仕事は、俗に言う「デザイン」の仕事の方が少ないくらいで、地味な「作業」を淡々とこなすだけのものが多いことに気づかされました。また、作業をこなしている時間より、好きなことが他にあることにも気づきました。

そんな時、ふと、私はなんのために大学に通っているのだろうと思いました。

その度によくわからなくなり、頭を抱え、両親に対する罪悪感だったり、未来に対する不安で、布団にうずくまっていた時もありました。

  

4年生の春、私はとあるおっさんと出会いました。そのおっさんは芸術に生きる人間なのですが、そのおっさんと、共同制作のようなかたちでプロモーションを考えました。

そのおっさんと、派手な喧嘩になったのは、たかがタイトルのフォントだったのですが…

「クライアントの言ったことを、きちんと受け止めて、巧く修正するのが、お前の仕事だ。職人っていうのはそういうものだ」って言われて、はっとしました。

インターネットが当たり前となった今、「作業」をできる人間は山ほどいます。「表現」の仕方も山ほどあるのでしょう。そのなかから、よりクライアントの求めるものに一番近い「最適解」を提案するのが、デザイナーの仕事なのだと思いました。

それが一番学べるのは、もしかしたら情デなのかもしれないと、今はそう思います。

 

4年前、私は「デザイナー」になりたくて、多摩美に入学しました。

たくさんの不安と不満を抱えながら、それでも現実を受け止めて必死に笑おうと頑張っていたあの頃。頑張ったことが、結局報われなかったんじゃないかって、すごく思いつめていたあの頃。親に心配や迷惑をたくさんかけて、でも結局形で返せるものが何もないと気づいたあの時。

そのひとつひとつが、今では、必要なものだったのだと思うことができます。

なにひとつ、無駄なことはありませんでした。

あぁ、楽しかったな。

幸せでした。

 

私は、

多摩美術大学

美術学部

情報デザイン学科を

卒業しました。

 

 

おわりに、この4年間で出会った全ての方の幸運をお祈りして、答辞とさせていただきます。

 

今週のお題「卒業」】